こんにちは。
このブログでは鉄道を中心とした公共交通における精神障害者割引について複数回に渡り記事にしてきました。ただ、特に精神障害のない方からすると、「鉄道の割引くらいでどうして騒ぐんだ?」と思うでしょう。
その理由は3つあります。
- 一部の向精神薬は運転禁止薬物
- 自動車運転死傷行為処罰法が精神障害者への適用が理論上可能
- 処方された向精神薬を使用中の事故で保険金が下りない判例あり
これらの存在により、精神障害者は運転に相当の不安を抱かざるを得ない状況にあります。公共交通の精神障害者割引はこれらの規制に対する補償としてなされるべきであるというのが私の立場です。
しかし、精神障害者割引の本格導入は難しいでしょう。であれば、精神障害者の運転に制約をかける上記3要素の裁判での運用を知り適切に行動すべきと考え本記事を作成しました。精神疾患の患者、及びその関係者の参考になれば幸いです。
”危険運転”と精神障害の関係
本記事は2013年に施行された「自動車の運転により人を死傷させる行為等の処罰に関する法律」(通称は自動車運転処罰法、以下「本法」)において、精神障害者が人身事故を起こした際にどのような罪で起訴・有罪となるかを検討しています。
本法には危険運転致死傷罪(2条・3条)があり、2条は「正常な運転ができない」状態での運転、3条は「正常な運転が困難な状態のおそれがある際に運転を開始し、実際に困難な状態に陥った」際の罪を扱っています。
加害者側から見たそれぞれの罪の比較表は以下の通りです。
危険運転の場合は正式起訴率が極めて高い、裁判員裁判となり「民意」で裁かれる可能性がある、危険運転で起訴された場合は100%実刑(令和元年)など極めて大きな不利益が存在します。この中に、
- (医療用医薬品を含む)薬物
- 「てんかん」や「そううつ病」など一定の病気
が危険運転として明記されました。しかし、本当にこの条文通りの運用になっているのでしょうか?本記事ではこの辺りを解説します。
刑事裁判における運用
本法の危険運転致死罪(2条・3条)の記載のうち、精神障害者に関連するのはこの3つです。
- 薬物の影響により正常な運転が困難な状態で自動車を走行させる*3
- 薬物の影響によりその走行中に正常な運転に支障が生じるおそれがある状態で自動車を運転し、薬物の影響で運転に支障が生じる*4
- 政令で定める病気の影響により正常な運転に支障が生じるおそれがある状態で運転し、病気の影響で運転に支障が生じる *5
という条件を満たしかつ人身事故を生じた際に適用されます。
なお政令に関する病気は以下の通りです。
- 統合失調症
- てんかん
- 再発性の失神
- そううつ病
- 重度の眠気の症状を呈する睡眠障害
さて、法務省が出した本法Q&A(文末にリンクあり)から理解すべき3つのポイントがあります。いずれも私たち患者には有利な要素です。
記載されていない病気は危険運転の対象外と思われる
運転免許の欠格事由*6には、
前2号に掲げるもののほか,自動車等の安全な運転に必要な認知,予測,判断又は操作のい ずれかに係る能力を欠くこととなるおそれがある症状を呈する病気
というあらゆる精神疾患に適用できそうな記載があります。しかし危険運転致死傷罪(2条・3条)にはこののほかという文言が含まれていません。
また本法Q&Aの中には上記の疾病のみが記載されています。
「能力を欠く恐れ」は検察が立証しなければならない
”危険運転”の成立には「能力を欠くこととなるおそれ」が必要ですが、多くの場合は危険運転は成立しないと思います。
なぜならば、
- 能力を欠くこととなるおそれの存在
- 実際に病気のために正常な運転が困難になった
- 正常な運転が困難になったことと死傷させたことに因果がある を全て検察が立証する必要があるからです。これは上記Q&Aにも明記されています。
- 躁うつ病治療薬は,認知能力や行動能力に直ちに影響を与える 蓋然性の高い禁制品薬物ではない
- 被保険者が特に主治医から自動車運転を控えるよう指示・ 指導されていた形跡がない
- 被保険者が本件事故現場まで事故もなく運転してきた
- 運転の制限を不必要に行うことがないよう留意
- 必要に応じ患者に運転上のアドバイスや制限を課す
- 制限では足りず、運転中止の必要性がある時のみその旨を指示
- 投与中患者の運転を一律に禁止すべき医学的根拠はない 投与中患者は現実に運転しており、実態にそぐわない
- 処方された向精神薬で危険運転致死傷が適用される可能性は低い
- 医師から運転禁止指示がなければ、保険金もおそらく下りる
危険運転致死傷罪の立証ハードルは相当高く、無免許や飲酒運転でも立証に失敗した事例は少なからずあります。
病気と事故の因果関係については本法Q&Aにも以下の通り記載があります。
ただし、運転中に携帯電話の画面を注視してしまうこととADHDの不注意・衝動性の関係性を否定し難いでしょう。死亡事故で本法違反で起訴されると裁判員裁判になります。精神障害者に対する差別感情が強い現状を考えると、「民意」によって不当に重い刑罰が科される可能性も排除できません。
「正常な運転が困難」=急性の精神病状態(?)
法務省発行の本法のQ&Aによれば、正常な運転が困難な状態として、急性の精神病状態「など」を想定しています。これは日本精神神経学会(以下、「学会」とします。)によれば極端な興奮や過活動,顕著な精神運動制止,緊張病性行動が見られる状態とされています。
ただし、法務省発行のQ&Aでも「など」とされており、ADHDの人に慢性的に見られる不注意や興奮が排除されていません。ADHDに対する本法律の適用が問題になった事例は裁判所ウェブサイトから見られる判例にはなく、実際の裁判では拡大解釈される可能性があります。
民事裁判-薬を飲んでも保険は下りる?
交通事故を起こすと損害賠償が生じ、和解や調停・裁判で損害賠償額は決まります。通常は自動車保険会社が賠償金を払ってくれますが、「保険金を払わない理由(保険者免責)」に該当すると保険会社は保険金を払いません。
この理由には「薬物」使用に関するものがあり、精神障害者にとっては問題となります。
そこで今回は、向精神薬と自動車保険の関係性について永松(2017)を引用しながら解説します。
永松(2017)は向精神薬による保険会社の免責について4つの判例を挙げていますが、
これらを我々患者が保険金を受け取りやすい理由として挙げています。*7
我々患者の立場からすれば、医師から運転禁止の指示がないといった消極的なレベルでも有利に立てること、薬を飲んだ状態で無事故運転を積み重ねることが有利に働くことは知っておくべきでしょう。*8
精神科医向けのガイドライン
精神科医の一定数が入っていると思われる日本精神神経学会では、患者の権利擁護とリスク回避*9を目的に、精神科医向けのガイドラインを公表しています。
要旨は以下のとおりです。
この学会は自動車運転死傷行為処罰法に反対の立場であり、このガイドラインが現実の裁判でどこまで尊重されるかは不明です。ただし、実際の裁判ではこのガイドラインを武器に戦うことになるでしょうから、知っておいて損はありません。
またコンサータやインチュニブなどの運転禁止薬物の処方について、
としています。その上で医師としては、薬物の開始や増量時に、数日は運転を控え眠気等の様子をみながら運転を再開するよう指示、適宜必要に応じて注意を促す対応が現実的であろう、としています。
まとめ-実務上そこまで差別されないが、対策は必要
本項の要旨は以下の通りです。
つまり、精神疾患の患者がいわゆる運転禁止薬を飲んだ状態で事故を起こしても、それだけで法的な不利益を受ける可能性は低いと思われます。
最後に、精神障害者が運転する際の現実的なアドバイスを示します。
しかし、「正常な運転に支障が生じるおそれ」や「急性の精神病など」がどこまでを指すのか不明瞭で判例もありません。想定外の厳罰が科される不安が残ります。
運転に関する規制の緩和、そして精神障害者割引の本格的な適用を切に望みつつ本稿を終わりにします。
以下は参考にした文献ですので興味のある方はご確認ください。
*1:本記載は、弁護士法上の非弁行為(業として・反復継続)に抵触しないと認識しており、抵触しないよう配慮しています。
*2:推測ではありますが、この場合危険運転致死傷罪の成立見込み、保険金が下りない可能性が高くなります
*3:本法2条-1
*4:本法3条
*5:本法3条-2
*6:あくまでも相対的欠格であり、免許の取得が一切禁止されるわけではありません
*7:あくまでも地方裁判所の判決です。
*8:現実問題として運転禁止薬を飲む患者に「運転していいよ!!」と積極的に医師がアドバイスすることは職務上のリスクも伴います。
*9:私は「医師としての民事・刑事的責任を負う」だと考えますが主語は明記されていません