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企業にくると「実験」ができないってホント?~心理学専攻ならではの大問題~

こんにちは。

心理学専攻のみなさん、新型コロナウイルスの影響で大学に行けなくなった方も多いと思います。本当に大変ですよね...。でも「明日から大学での実験禁止」になったらどうしますか?たぶん今以上にヤバイ状態に陥るのではないでしょうか。

今回は企業の心理系技術職になった私が見た「ある日突然実験できなくなった」心理系人材のお話です。

企業、特にメーカーに技術系就職したい方はもちろん、そうでない心理系の学生さんにも本当に読んでほしい記事です。

POINT

この記事では、大学と違って企業で心理学実験がしにくい理由、限られた実験のチャンスをどう活用するのかを解説していきます。

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なぜ心理学にとって「実験」が重要なのか?

そもそもなぜ心理学にとってシミュレーションが大事なのでしょうか。まずは実験の定義を調べることから始めてみたいと思います。

実験(じっけん、英語: experiment)は、構築された仮説や、既存の理論が実際に当てはまるかどうかを確認することや、既存の理論からは予測が困難な対象について、さまざまな条件の下で様々な測定を行うこと。知識を得るための手法の一つ。 実験は観察(測定も含む)と共に科学の基本的な方法の一つである。ただ、観察が対象そのものを、その姿のままに知ろうとするのに対して、実験ではそれに何らかの操作をくわえ、それによって生じる対象に起こる変化を調べ、そこから何らかの結論を出そうとするものである。ある実験の結果が正しいかどうかを確かめることを追試という。(Wikipedia 「実験」より引用)

少し言葉が堅いですが、言っていることはおおむね納得してもらえると思います。

そもそも心理学の研究の場合、基本的には先行研究から仮説を作りそれを実験で証明していくのことが多いはずです。

 注意

基礎系の場合です。臨床の場合は実際にクライアントに向き合った「ケース」も非常に重視されています。場合によってはフィールドもあります。


少し話は変わりますが、心理学専攻の人の「強み」って何なのでしょうか?入戸野(2017)*1は次のように指摘しています。

表 1 に,モノづくりに関連して利用できる心理学の測度の例を示す。それぞれに一長一短があ る。測度を選ぶときは,測定する目的とコストパ フォーマンスを考えるとよい。脳科学や無意識に 対する関心が高まっているため,生理測度に期待 する企業が多い。しかし,一般に生理測度を用い た研究には時間と費用がかかる。また,ノイズに弱く,分析するのに高度なスキルと経験が要求さ れる。目的によっては,主観測度や行動測度のほ うが手軽で,しかも求めている情報が直接得られることもある。 このように多様な測定ツールの入った道具箱を持っていることは,実験心理学者の強みである。(太字は筆者)


もちろん測定ツールをたくさんもっていることだけが心理学専攻の強みだとは思いませんが、ヒトを相手にした実験スキルは多くの理系は持たない強力な強みの1つです。それは大学ほどポンポン実験できるわけではない企業においても当てはまります。

逆に言えば、何らの代替スキルもない状態で実験ができなくなると、企業で心理学をする意味が根本から揺らぎます。ある意味で部署の消滅やジョブローテーション以上のリスクです。

ではどんな時に実験ができなくなるのでしょうか?少しずつ見ていきましょう。

配属リスク

いわゆる「どこに配属されるかを自分で選べない。入社するまでどこの部署に配属されるかわからない」というリスクです。総合職採用であればもちろん、研究開発職での職種別採用であってもこの問題は残ります。完全に回避できるとすれば、学生時代に就職先で長期のインターンをしていた、あるいは共同研究先でどっぷり浸かっていた部署への配属が確約されているケースくらいでしょう。

 

まず心理学専攻の人が技術系で採用された場合、配属できそうな部署がある程度決まるように思います。私の職場は総合職としての採用ですが、心理学は機械や情報といった学問と違い、メーカーのどんな部署でも使えるわけではありません。メーカーであれば人間が触れるところの研究開発やヒューマンエラーに関する安全衛生などでしょう*2

ただし、研究開発といっても企業によって「どこまでが研究開発か?」は全く考えが違います。

ある企業では製品になっていない技術の開発までに限定している*3一方で、企業によっては技術の開発や商品を作るための実験や設計だけではなく、いわゆる生産技術の開発まで含めているケースがあります。

細かい違いは省きますが、研究開発といっても心理学の人が好きそうな実験やそれに伴うヒトに関する特性を明らかにする業務だけではなく、実際に図面を作る設計の業務もあるケースが多いということです。

そして、企業によってはこの人は実験だけをする人、この人は設計だけをする人と明確に分かれているケースもあります。もちろん設計が一切実験に関与しないわけではありませんが、自分で実験計画を0から考えて、考察までまとめるという大学のようなことをするのはかなり難しいでしょう。

このように配属部署によっては「研究開発なのに実験できない」というリスクがあるのです。

そもそも「実験」を減らす方針になっている

無事に実験や製品の評価を担当する部署に配属されたとしても、まだ問題があります。

 

業界・企業により差はありますが、以前に比べてなるべく実験をしなくても済むようにしようという流れがあるように感じます。大学や研究機関と異なり、モノを作るための実験をしているメーカーの場合は特にそうです。

例えばハウスメーカーで行われる耐震試験を例に考えてみましょう。政府系研究機関である防災科研のE-ディフェンスを使って耐震実験を行う例を挙げて計算します*4

公開されている料金を簡単に示すと、施設を1日使うと占有使用料として620万円、そして1日あたりの光熱費として250万円とされています。これとは別に人件費や運搬費、そしてもともとの構造物を作る費用などがかかります。例えばこの論文*5の研究では10日間にわたって実験を行っていますから最低でも8700万円かかることになります*6


こういう施設を使った耐震実験は、耐震性のアピールになるので必要なコストではありますが、必要に応じて実験を繰り返せば確実に会社の収益を圧迫します。

また、心理学の場合は実験に使うサンプルがヒトであることからヒトを対象とした研究倫理や労基法など、厄介な問題が多くあります。その一例はこちらの記事を読んでみてください。

研究倫理の観点から動物実験がしにくくなった

さきほどはわかりやすいハウスメーカーを例に挙げましたが、心理系の人が採用されうる化粧品や食品の場合、別の問題があります*7

そう、動物実験です。毒性等を調べるための動物実験には学術的にも大きな意義があります。しかし動物愛護などの観点からかなりやりにくくなり、既に動物実験の廃止を宣言した企業もあります。先日論文の紹介をした資生堂でも2013年4月以降は原則として動物実験を行わないことを明らかにしました*8

シミュレーションの重視(心理系はそうでもないけれど…)

ここまで会社ではなるべく実験をしないようになっているという話をしました。では企業では製品開発に必要なデータを取得することを諦めるようになったのでしょうか?決してそんなことはありません。

実験以外の方法、例えばコンピュータを用いたシミュレーションを使うようになりました。もちろん以前から計算機としてのコンピュータはありましたが、近年のコンピュータスペックの向上によってかなり正確な予測が可能になりました。そのためゴリ押しの実験を繰り返すのではなく、それを積極的に使うようになったのです。スパコンなどの高性能なコンピュータだけではなく、簡単に調達できるコンピュータの性能も格段に上がったことも関係しています。

心理学人材が採用される領域とは少し違うかもしれませんが、製薬業界の例を見てみましょう。例えばこちらの論文*9ではヒトの心細胞のモデルをコンピュータで作成し、様々な予測を行っています。その結果についてヒトでの臨床データと比較したところ不整脈をおこす物質について89%の精度で推測することに成功したのです。

私の職場の過去の論文などを見ていても、本当に実験の回数が減りました。大学のように無限に実験を繰り返すのではなくたくさんのシミュレーションでかなり詳細な仮説を立ててからその仮説の正しさを実験で証明するという流れになりつつあります。逆に言えば、大学のような「正直仮説に不安があるけれど、とりあえず実験してみます」というような探索的な実験はかなり少なくなりました。

もちろん心理学の領域では、物理現象の研究ほどシミュレーションはまだ使われていません。理由は明確ではないものの、多様なヒトを1つのモデルに落とし込むことの難しさや研究倫理の問題が関係しているように感じます。とはいえ社会心理学領域では既にシミュレーションが導入されており、災害時の避難行動シミュレーションなど、かなり実用化が進んでいるように感じます。遠くはない将来、多くの領域でシミュレーションによる心理学研究が盛んになるのではないでしょうか。

少ない実験で成果を出すために考えるべきこと

ここまでで、大学とは異なり企業では実験をする機会が減る可能性があることを書いてきました。では実験スキルが強みである心理学人材はどうやって企業就職をしていくべきなのでしょうか。私自身もこの問題に悩んでいますが、1つ確実なのは大学と同じような発送で実験立案をしていては通用しないということです。ここでは3つの考え方を示してみたいと思います。

まずはシミュレーションになれることでしょう。人間に対するシミュレーションはまだまだ進んでいないとはいえ、慣れてくればかなり便利なツールです。実際効果量の小さな実験をやりまくるようなことは減ったように思います。

次に、シミュレーションでできること、できないことを明確にすることです。実験をしまくるといった大学のような研究手法が通用しない以上、意味のある実験にターゲットを絞って実験することが必要です。

最後に、効果量の大きな実験内容を考えることです。企業に来て実験の回数だけではなく使える人数も減った中で、いかに少ない人数で製品開発に生かせる結果を出すか?を考えるようになりました。詳細なところはまだ自分にもわかりませんが、当面は効果量の大きい、本当に価値のありそうな要因に絞って実験をしていくことが大事だと考えています。

今回、企業では実験ができない!というデメリットを紹介しました。しかし実際の製品に心理学の知見を活かせ、そして安定した雇用が当面は保障される企業の研究開発職は心理学専攻の人にとって魅力的な選択肢の1つです。

企業で心理学を活かして働くことのメリットはこちらの記事にまとめておきました。興味がある方、ぜひ企業に来て心理学の研究開発をしましょう!

*1:https://www.jstage.jst.go.jp/article/sjpr/60/4/60_312/_pdf/-char/ja

*2:人事などは心理学の知見が活かせるとは思いますが、そもそも事務系扱いになっていることが多いので除外します

*3:採用サイトで公表されているケースではPanasonicが当てはまります。

*4:このE-ディフェンスはハウスメーカーの1つである一条工務店が実際に使用しているものです

*5:https://www.jstage.jst.go.jp/article/aijs/79/699/79_565/_pdf/-char/ja

*6:なお実際にはデータの公表による割引がありますが、民間企業であればないと思うのでそのような割引は行いません

*7:機械メーカーやアプリケーション開発においては当てはまりません

*8:https://corp.shiseido.com/jp/releimg/2133-j.pdf

*9:https://www.frontiersin.org/articles/10.3389/fphys.2017.00668/full