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【豊田中央研究所】企業における心理学研究~目を動かせば運転中の眠気は抑えられる~

本記事は企業における心理学研究の一例を紹介する記事です。

突然ですが皆さん、クルマを運転しているときについつい眠くなってしまうことありませんか?特に高速道路のように刺激の乏しい環境だとついつい眠くなってしまいますよね?

今回紹介する論文は、その解決策の1つを提示し、ユーザーの不快感の有無についても検討しています。

POINTこの論文では、眼球運動の1種であるサッカードを誘発する刺激が眠気を抑制できること、そしてそのような刺激はユーザーにとってさほど不快に感じられないことを示しています。

いままでと同様に、原著論文のリンクも紹介しておきます。ぜひ一緒に読んで見てください。


このブログでは豊田中央研究所以外にもいろいろな企業の心理学の研究を紹介しています。心理学領域では好待遇な資生堂の研究もありますよ!こちらから読んでみてください。

豊田中央研究所とは

自動車メーカーであるトヨタ自動車ではなく、トヨタグループの将来のため様々な研究を行う企業です。トヨタ自動車の完全子会社ではなく、豊田自動織機やトヨタ車体など様々な企業が出資することで成り立っています。

自動車メーカー各社それぞれ研究を行っていますが、研究専門の部署を本社とは別においているのはトヨタ・ホンダ・いすゞの3社のみとなっています。他の自動車メーカーは自動車メーカー本社として採用したうえで、採用者の一部を研究用の部署に配属しているものと思われます*1

ちなみに豊田中央研究所は研究所の事務系総合職を採用しています。おそらく日本の民間企業では唯一ではないでしょうか*2

ホンダは2019年に大幅に組織改編を行い、ごく一部の研究を除いて本多技研工業で研究開発を行う形になりました。従来の「ホンダの研究所」だった本田技術研究所は大幅に縮小したことになります。

 

サッカード

この論文を読むために必要な知識としてサッカードについて解説しておきます。

サッカードはいわゆる眼球運動の1つで、高速かつ跳躍的に移動する眼球運動のことを指しています。いくつかの先行研究からサッカードが注意の移動と関係していることが知られています*3。例えば下の論文のように注意を向けている領域に対しては、そうでない領域に比べてサッカードが生じるまでの時間であるサッカード潜時が短くなることが確認されています。

 

実験1

この研究は実験1と2から構成されています。実験1ではサッカード誘発刺激の有効性を、実験2ではサッカード誘発刺激に対してのドライバーの受容性を評価しています。

研究の背景など

近年スバルのアイサイトをはじめとした運転支援が多くの自動車に導入されるようになりました。自分で運転しない状態が増えると、今まで以上に運転中の居眠りが問題になります。

そのような状態で眠くなった人に対してどうすればいいのか?は大きく分けて2つの方法が挙げられます。1つ目は皮膚電位や眼球運動を測定し続け、運転手が眠くなったらアラームを鳴らすシステムです。眼球運動などをどのように測定するかは別の問題として、自動車以外でもよく使われそうな手法ですね。そして2つ目は眠くなる前に居眠りを予防する視覚・刺激を呈示する方法です。

本論文ではこのうち2つ目の手法を採用しています。覚醒水準が低下した時には脳幹の活動も低下することが知られていますが、刺激によってサッカードを誘発することで、脳幹の活動を維持して覚醒水準を維持することを目指しています。

刺激と重要な尺度(PERCLOS)について

実験1と2では、道路を走っている車がいるか、それとも車がいないかだけが違っています。実験参加者の目の前にサッカード誘導刺激、下の図でいえば、白い丸や黒い丸の部分を提示させ、前方を見ている実験参加者はときどき点滅する白い丸や黒い丸の刺激を見るように実験者から指示を受けました。

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また今回の論文ではPERCLOSという覚醒水準を表す基準が良く出てきます。PERCLOSとは過去1分以内長時間目を閉じていた時間の割合を示す値です。この論文では左右の目の瞳孔の大きさをから目が閉じているかを判別し、0.5秒以上連続して目を閉じていた時間の全体に対する割合を算出しています。

少し難しいことを書いていますが、簡単に言えば「眠いときは眼を閉じる、だからその眼を閉じている時間を測りましょう」ということになります。

結果

サッカード誘発刺激の有無によるPERCLOSの平均値を見てみましょう。論文中の図4にあたります。

 注意

最初から覚醒度が低かった、という理由で本文の図4グラフから除外されているデータがあります。


グラフを見るだけでも、サッカードを誘発する刺激がない条件では実験開始から9分でPERCLOSが急激な上昇を見せていますが、刺激がある条件では15分後にようやく上昇を見せていることがわかります。PERCLOS値の平均についてt検定をしても、実験開始後9分でサッカードを誘発する刺激の有無による有意差が見られています。このことからサッカード誘発刺激がある条件では覚醒度の低下が遅くなることがわかります。

条件によるPERCLOS値の差はあることがわかりました。さてここで次のような疑問が浮かびます。それはサッカード誘発刺激で本当にサッカードが増えたのか?ということです。もし増えてなければ、サッカードを誘発できれば覚醒度を維持できるという説明がかなり怪しくなってきます。

ただ残念ながらこの論文ではその疑問に直接は答えていません*4。かわりに、実験の前半でサッカードの回数が多ければ後半の覚醒度低下が抑えられるのでは?と考えて実験参加者を群別に分けて比較しています。

群別に分けた比較の結果、覚醒度が低下した実験参加者ではサッカード回数が覚醒度低下の度合いに寄与すること、2分間で10回程度のサッカードが覚醒度維持に必要であるとされました。

実験2

ここまでの実験で、サッカード誘発刺激には、覚醒度を維持する効果がある人もいることがわかりました。大学の場合は、もっと現象の解明を目指した研究をするのかもしれませんが、企業である豊田中央研究所は少しやり方が違っていました。

  • ドライバーが不快に感じない刺激にしたい
  • 安全を守るために必要なら、運転手の正面以外にも注意を向けたい*5

豊田中央研究所は研究を専門にする企業ですが、実際の製品まで意識した研究になっているのが、やっぱり企業だなあと思わされます。

そのため実験2では、右車線を走行していた車両が視野に入ったらサッカード誘導刺激を入れる条件(以下条件s1とします)を作りました。そしてそれ以外の2条件、具体的にはサッカード誘導刺激なし条件(以下条件s0)と車両と連動しないサッカード誘導刺激がある条件(以下条件s1no)です。

先ほど説明した3条件を使って次の指標を評価しました。

  • PERCLOS
  • 主観的な眠気*6
  • 前方ブレーキランプ反応遅れ*7
  • 主観的なわずらわしさ

実験の結果を見てみましょう。実験1と同じくPERCLOSの平均値を見ると数値が上がったり下がったりしています。しかしその中でしきい値を調整して考えると、車両に連動したサッカード誘導刺激がある条件だと、そもそもサッカード誘導刺激がない条件に比べて覚醒維持時間が平均で2倍になりました。

主観的な評価を比較してみると、車両に連動したサッカード誘導刺激がある条件とサッカード誘発刺激がない条件では眠気の主観評価には差が見られないことがわかりました。また刺激のわずらわしさについて、サッカード誘発刺激があったとしてもわずらわしさは小さく、車両との連動によってわずらわしさは変化しないことが分かります。

実験1と異なり、サッカードの回数を条件ごとに直接比較しています。車両に連動したサッカード誘発刺激がある条件では、サッカード誘発刺激が車両と連動していない条件に比べて、実験開始から20分経ってもサッカードの回数が比較的維持されていることが示されています。このことはサッカードの回数が覚醒度低下の抑制に寄与するという実験3の結果にうまく適合しています。

まとめ

実験の結果を大雑把にまとめると、サッカード誘発刺激によって覚醒度を維持することができるケースがあること、そしてその刺激は主観的にはさほどわずらわしくないことがわかりました。このことはこのような技術の実用性を示しています。

正直なところこの論文を読んでみると、データの切り出し方やサッカード刺激の有無によるPERCLOS値の解釈に、「ちょっと無理があるのでは?」というところがあると個人的には感じます。

とはいえ、現実的にはなかなかきれいなデータが出ないのが心理学実験の特徴ですし、実用性を考慮した実験もしていることがこの論文の意義だと感じました。

ちなみに心理学出身者の目線からすると、次のようなことが気になります。

それは、閾値以下の刺激で行動に影響を与えるサブリミナル効果によってサッカードを誘発できるのか?ということです。仮にサッカードを誘発できるとした場合わずらわしさはほぼ0になるはずですし、ドライバーの目の前に提示できる情報は限られているという現実的な制約を乗り越えることができます*8

この論文をまとめる中で現実的な実用性まで踏まえた心理学の実験、製品開発をするのが企業の特徴なのだと改めて感じました。私自身が企業で実際に研究開発をしているわけですが、この実用性については非常に厳しく問われます。

さて、今回は自動車業界の心理学研究でしたが、このブログではこのような鉄道業界での心理学研究も紹介しました。

 


今後もいろいろな業界の企業が行った心理学研究を紹介していきたいと思います。その中で、企業ではこんな研究をしているのか!こんな企業も心理学の研究をしているのか!という発見に繋がれば幸いです。

*1:他の方から聞いた話なので詳細は知りません

*2:鉄道総研は事務系を採用していますが、そもそも民間企業ではありません

*3:なお、眼球運動が注意の移動に必須ではないことも知られているのでそのあたりは要注意

*4:サッカードの回数を誘発刺激の有無で比較すればいいだけだと思うのですが、おそらくおもしろい結果が出なかったので書かなかったのでしょう

*5:右側から自車を追い越そうとしている車があるなら、その車とぶつからないようにうまくやり過ごす必要があります

*6:カロリンスカ眠気尺度の日本語版(KSS-J)を使っています

*7:前方に注意がちゃんと向いているかを確認するためのもの。詳細は本文を見てください

*8:テレビ番組の放送基準ではサブリミナル効果の利用が規制されていますが、サッカード誘発による実害は特になさそうなので実装してよいと考えています